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Channel: 文芸 多度津 弘濱書院
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シニフィアンとシニフィエ

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本日は小論文二本立てでお送りします。
まずは表題の「シニフィアンとシニフィエ」から。

最近、様々な場面で、旧来使われていたイメージの悪い言葉を新たな呼称に呼び換えようという動きが活発になっているように思う。
今日はそのことについて少し。

いきなり専門的な話で恐縮だが、言語学では、言葉の機能をシニフィアンとシニフィエに分けて考える。
分かりやすく言うとシニフィアンとは言葉の音のことで例えば海なら「ウミ」という読み方がそれにあたる。
ウミという音を考えてみるとそれはウとミという二つの音が組み合わさってできただけで、それ自体には格別の意味はないと言える。
しかし人はその無造作に並べられた音に対してシニフィエ、つまり意味をもたせる。
ウミならば、そこに大きな水の塊で波があって魚が住んでいる塩辛いものという風に。

例えば、分かりやすい蔑称の一つとしてオカマなどがあるが、それのもたらすイメージはなんとなくふしだらで気持ち悪いという感覚がある。
でゲイの人はそれを嫌がってその名を別の呼称に変えようとする。
しかしここで問題が一つ起こる。

それは、言葉におけるシニフィアンを変えただけで、肝心のシニフィエは何も変わっていないという深刻な現実である。
だから、オカマという呼び名を例えばゲイに変えたとしても、肝心の意味の方が差別的な色彩を多くの人に共有されているのなら、言葉の意味はそれを表す音を求めて迷走する訳である。
心理学でいうなら無意識の次元にある要素が意識にある象徴を求めてなんでもいいから勝手に結びつくようなものである。
はっきり言えば、やがて時間が経つにつれ今度は変えた名前のゲイという呼び名に差別的な意味合いが加わることになるだけということである。
その時、彼らは一体どうするだろうか。
またぞろ名前だけ変えてその場を凌ぐのか。

昔、筆者が若かりし頃、ちょっと左翼的な運動に加わっていたことがあるのだが、その時若気の至りで自分自身ゲイでもなんでもないのに素朴な正義感から、ゲイ・レズビアンの差別撤廃運動に興味を持っていた時期があった。
その頃の私はもちろん蔑称廃止、蔑称呼び換えの立場であった。
しかし運動の中である別の意見を耳にする。
その人が言うことには、オカマという呼び名を変えるだけでは何も変わらない、むしろアタシはオカマという呼び名はそのままで、だけどそのオカマという呼び名をいいイメージのものに変えたいとのたまっていたのだ。
若かった私はこの意見にはっとした。
そして自分の至らなさ、底の浅さを自覚した。

この人は言葉のシニフィアンではなくシニフィエを変えようとしているのだ。
これこそ本当の革命なんだとそう思った。

シニフィアンではなくシニフィエが変わった例として、お笑い芸人のことを挙げてみたい。
筆者が子供の頃、お笑い芸人と言うのは子供達の間でも面白くて人気があったのだが、いざ自分がそうなりたいかというと絶対に嫌だという職業の代表だったように思う。
例えば、学校の授業中など、頓珍漢な受け答えをした生徒に向かって先生が、「オマエは吉本へ行け」などと言っているのを聞くと、顔では笑いながらもその恐怖に本気で背筋が凍りそうになったものだった。
その頃のお笑い芸人のイメージは、人間やめますか、ぐらいのイメージだったのである。

ところが時代が変わった。
吉本もお笑い芸人もその呼び名(シニフィアン)は何ら変わっていないがそれが指し示す意味(シニフィエ)は随分と変わった。
人間として失格した者、破綻した者が行く場所、職業というイメージはもうない。
吉本は誰もが入りたがる人気事務所になったし、お笑い芸人は馬鹿ではなく知的な要素を隠し持つかっこいい職業だという風に今ではなっている。
明石家さんまさんや、タモリさん、タケシさんなどの活躍でお笑い芸人に対する世間の評価は決定的に変わったように思う。

本来、こういう風にシニフィアンではなくシニフィエが変わって行くことこそ本当の意味における差別克服となるように思うのだが、どうだろう。
もちろんあまりに事態が逼迫していて、どうしようもない時など、名前を変えてみるのも有効だろう。
だけどそれでは本質的には何も変わらないことも自覚していなければならない。
ただ単に表現の上における不自由さ(言葉狩り)が増えただけという結果になるなら、社会全体にとってもそれは不幸なこととなる。
時間はかかるが、やはりシニフィエを変える努力を続けることが事の本筋だし大事なように思う。
皆さんはどう思いますか。



次に「家族と血縁地縁」について。

昔、ひろさちやさんの本で読んだのだが、東南アジアの方からの留学生に家族は何人いますかと聞くと大抵、四十、五十人と答えたらしい。
向こうではなんでも親戚一同が一つに会して皆で仲良く暮らしているそうで。
しかし、一つの家族の内にそれだけの人数がいると、現在国がしているような社会保障、つまりセーフティネットの主なものは家族の内々で代行可能なように思えてくる。

実際、そういう地域ではそうなっているらしく、例えば介護の必要な年寄がいても必ず誰か世話の出来る人が家族の中にはいるそうだし、また若くてまだやりたいことが見えていない人などが居候のように家族の世話になりながら特に働きもせずに家のことを手伝っているだけというのも普通にあるという。
これだけでも介護保険と雇用保険という二つの大きな保険が大家族の存在によって賄われていることに改めて驚く。

また収入の方に関しては詳述はなかったものの、それだけの大人数だと外で働いて稼いでいる大人の数も多いだろうから、そこそこの暮らしが出来るのだろう。
たとえ現金収入が少ないとしても米や野菜などの栽培で得られる生活物品の収入も安定しているはずである。

金銭のことで言えば、筆者は現在、恥ずかしながら年収200万ちょっとの安月給である。
しかしその貧乏な筆者の家では、現在大人四人が暮らしているので、その四人の収入を足すと世帯あたりの収入はけっこうな額になる。
だから、筆者の場合、親や兄弟との同居のおかげで安月給の割にはそこそこのいい暮らしをさせてもらっている。
貯金も人並みにありますし。
一人あたりの収入が少ないなら、三人四人とまとめて一緒に暮らせばだいぶ楽になるいい例だと思う。

現在、戦後普及した核家族の限界が見えてきているなか、かつてのような大家族に復帰する余地はまだ残されているのかどうか。
そもそも核家族と個人主義というのは経済成長を前提とする高度資本主義と相性のいい家族制度だったように思う。
というのも、大人数で一緒に暮らしていると洗濯機や冷蔵庫、テレビなどは皆の共有で一台か二台くらいで済むのだが、核家族や個人主義でばらばらになるとそれぞれ一人に一台必要となってくるからである。
つまり物を大量に売るには、家族はばらばらの方がなにかと都合がいいのである。

しかしそういう大量生産、大量消費の時代はもう終焉を迎えつつある。
そんな中、家族の形も変わっていかなければならない時期にさしかかりつつあるのだろう。
日本では東南アジアのように血縁関係だけで四十、五十人の群れを作るということは難しいかもしれない。
しかし日本には「遠くの親戚より近くの他人」という諺にもある通り、血縁は大事にしつつも一方で地縁というものも大事にしてきた現実がある。

つまり日本では地縁が一番身近なセーフティネットだったと言える。
今、それの復権は可能だろうか。
いや、是非とも成し遂げなければならない復権のように筆者には思える。
不幸な結婚生活を清算して行くあてのなくなった幼子を抱えたシングルマザーや、学校にも職場にも居場所がない若い子達。
そんな人達を黙って受け入れるだけの地域力、もしくは親戚力。
そういうものをこの機会にもう一度見直してみるというのはどうだろう。
かつての日本人に出来ていたそれらのことを現代に生きる私達が出来ないこともないように思うのだが。
皆さんはどう思われますか。


本日も最後まで読んで下さってありがとうございました。

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