本日は書評です。
「平澤興講話選集 生きる力 全五巻」、致知出版社、平成二十七年十二月一日初版、全五巻箱入り、セット価格税別8000円。
それではここで著者、平澤興先生の略歴を紹介。
明治三十三年、新潟県生まれ。
京都大学医学部卒業、京都大教授を経て、京都大学第十六代総長を務める。
医学者で専門は脳神経解剖学。
1951年日本学士院賞、1970年勲一等瑞宝章。
この本はそのような偉大な経歴をお持ちな先生が晩年、京大総長を退職されてから特に力を入れておられた家庭教育の普及運動、それとの絡みで交流を深めた(株)新学社で週一回職員を集めてなされていた講話を収録したものである。
ちなみに新学社とは、全国の小中学校で使用される学習教材を販売していた会社だそうである。
全体を通して読んでみて思うのは、平澤先生は優れた医学者、科学者でありながら、いやむしろそうであるからこそであろう、近代科学の限界について極めて自覚的であったということ。
そしてそれは、先生がその生涯を通じて、伝統的な宗教などが持つ世界観にきわめて近い見解に達せられていたということでもある。
世界の不思議、生命の不思議、宇宙創造の不思議、それらの不思議を生半可に解ったような顔をせず、不思議なことは不思議なままにそこに驚きと敬意とを持ち続けるという知的誠実さ。
先生においてはそのようなきわめて高い精神的態度が顕著に現れている。
例えばこんな感じである。
「つまり呼吸でいらんものを捨てるか、あるいは尿としていらんものを捨てるか。
そういうふうな呼吸作用、腎臓の作用、大腸の作用等々の働きは、全く一日中行われておって、我々が苦労しなくても、そういう働きはうまくいきますから、何でもないようでありますが、しかし働きそのものは微妙な働きであります。
広い意味では、天地の理法、宇宙の真理は目の前で現に行われているという一つの証拠になります。
いつも言うことでありますが、世の中には当たり前でなんでもないなんていうことはないのであります。
むしろ当たり前のことが一番難しくて説明ができない。
「今日無事」なんていうことは、いかなる学問でも学問だけではなかなか説明はできません。」
宇宙の不思議とそれを体現している自らの肉体の不思議に謙虚に耳を傾ける先生の誠実な態度が、聞いている者の胸に自然に沁み渡ってくるようなそんな感覚に満たされる。
さらに、もう一歩飛躍するために必要な人生の極意を語る別の場面では、古今東西の偉人の生涯に範をとりながら、俗に天才と呼ばれるような人でも最初から何か特別な形で完全な存在として生まれてきた訳では決してなく、むしろ明確な目標設定とそれに向けたたゆまぬ努力という誰でも真似のできそうな(しかし本当は難しい)後天的努力のおかげで天才となれた事が繰り返し強調される。
また、人生において本当に伸びて行く人になるためには、ただ単に頭がよいというだけではだめで、というのも頭が良過ぎると、労多くして得る物が少ないと見るやすぐに放り出してしまうからだが、逆に少しくらい頭の回転が鈍いの人の方が却って人がやらないようなことを粘り強く行うことで、誰も見たことのないような凄い結果を出してしまうことがよくあるという。
俗にいう「運、鈍、根」などということも先生はよく言われている。
そして本当の一流と呼ばれるような人は、頭がいいのはもちろんだが、それは世間一般が言うような頭の良さ、切れ味の良さ、怜悧さ、計算高さなどとは違って、見た感じではどこか一本足りないような抜けているような、一見そんな間抜けな感を抱かせるような誠実でひけらかすことのない穏やかな知性が特徴だという。
むしろそのようなちょっと鈍くさいくらいの感じの人に本当の偉人が多いとも。
最後に。
「都へ出て勉強をして学者にでもなれば、なんとはなしに偉そうになるんではないか。
本当に偉そうと言うのか、偉いと言うのか知りませんが、しかし人間の価値は、そういうふうな何になるとか学者になるとか何になったというところに本当の価値は今でもないと私は思っています。
一人の人間の価値は、やさしい心を持って、馬鹿正直で親切で、やるべきことはとにかく生命を捨ててでもやる。
損か得か知らんけれどもやる。
私はその時こう言いました。
「お人好し、我慢、がんばり、ありがとう。」
今は豊かになっておりますが、もう少し人も昔より賢そうであります。
我慢もがんばりもあまりやらんで済むような豊かな時代になりました。
ありがとうも言わんでいいような時代になりましたが、それで一体、本当に人間として進歩だろうかと私は問うたのであります。」
先生渾身の魂の伝言、警句である。
今もなお、安らかに眠りながらも、世に真実を説き続ける平澤先生の御魂に合掌。
最高の読書体験を提供してくれた平澤興先生に感謝。
その講話を快く世間に出してくれることを了承してくれた新学社のみなさんに感謝。
そしてそれを本と言う形にして出版してくれた致知出版社のみなさんに感謝。
そして今日も最後まで読んでくれたあなたにありがとう。