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Channel: 文芸 多度津 弘濱書院
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友よ

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アメリカ大統領選でトランプ氏が勝利した。
その背景にあるトランプ氏支持層の人々に語りかけてみる、今回はそんな試み。

まさかの当選でしたね。
でも今までホントに辛かったんだろうな。
あなたがたは米国政治の主潮流から疎外された人々だった。
あなたがたの声を本来なら掬い取れたはずの保守もリベラルも何かと言えば、金持ちになびくか、一方、貧乏人につくなら新しく入ってきた人達の方ばかりに向いている。
自分達はいつも後回し。

そして既得権益をいつも削られる。
その上、生活全般も荒れたものになってきたのに、誰もそれに目を向けようともしない。
そんな我慢、我慢の日々を耐え抜いてこられたあなたがたに深い思いを寄せたいのだけれど上手い言葉が見つかりません。

話は変わりますが、アメリカでは、自由、平等、個人主義に小さな政府という主張が保守になるそうですね。
そのことを知った時、私はとても驚きました。
なぜなら日本でそのような主張をする者は保守ではなく革新だからです。
日本の保守は個人主義を採りません。
むしろ、家族や地域共同体と言った個人と国家の間に存在する様々な伝統的中間団体の存在と、それによってもたらされる社会全体の規律と安定を重視するのが日本の保守の特徴です。

建国以来、自由と平等を旗頭にしてきた米国とは逆に、長い歴史がありその歴史のほとんどの中で個人の欲望の行き過ぎを抑える政体を工夫してきた日本とのその差が保守の在り方に出ているのだと思います。

ここで突然ですが質問です。
皆さんはだれかの前で愚痴ったり、泣いたりできますか。
アメリカの個人主義の特徴は、個人の自立だけでなく同時にその強さを求める点に最大の特徴があるように思います。
だから、それが隅々まで行き渡ると、誰か自分以外の相手に愚痴を言ったり泣いたりすることはできなくなるのではと心配になります。

日本では、伝統的には家族や地域共同体である井戸端会議などで、適当に愚痴を言い合える環境があったように思えます。
他人には見せられない泣き顔も内々の家族や親類、友人なら受け入れてくれました。
が、その日本でも戦後はそういう繋がりが薄れて、人間関係も希薄になって行きました。
その代わりに戦後日本では「会社」の存在が個々人のストレスを掬い取るそのような役目を担っていたように思います。
よく仕事帰りのサラリーマンなどが赤ちょうちんで酒を飲みながら、部下や同僚相手に愚痴をこぼしている風景がそれです。

もっとも最近ではそういうのも若い人達には嫌われるようになってきていますが、そういう行為が全くの無駄なのかといえばそうでもなく、一社会人が明日も仕事を続けてゆくためには是非とも必要なことだったのだと思います。
愚痴を言っている本人はダメ人間の見本のようでも、でもだからこそその人の精神衛生上はとても意味のある行動だったのだと思います。
人間だれしも、どこかそういうものがないとやっていけないのではないか。

ももクロの歌に、「泣きたいのに泣けなくて苦しいのは誰ですか。泣いてもいいんだよ。」というのがあったように記憶していますが、泣きたい時にちゃんと泣ける社会、そんな社会というのが必要なのではないでしょうか。
結局はそういう社会の方が自殺率なども低いようですし。
それに個人と国家とがいきなり対峙するような関係ではなく、その間に色々な中間団体が入ることで緩衝剤の役割を果たす。
日本の保守というのはそういうものを包含した「あたたかい保守」なのだと思います。

一方アメリカの保守は、人間に対して少し冷たくなりすぎてはいやしないか。
もちろん、日本のやり方をそのままアメリカで真似しても上手くは行かないでしょう。
アメリカにはアメリカに合ったやり方がある。
個人を大事にしながら緩やかな連帯を保証するアソシエーションの活用などがアメリカには向いているのかもしれないですね。
どうか、アメリカ独自のやり方を皆さんで模索していって下さい。

次に薬物問題について。
上記のように、人に冷たい傾向のあるアメリカ社会では薬物依存の問題も深刻なようです。
個人で問題を抱えざるを得ない以上、他に頼るべきものがないということになるからでしょうか。
薬物の問題点は強い快楽による強度の中毒性にあるように思います。
昔、そのような薬物が開発された頃には、その使用により、内面から人間の幸福を支えることができるようになると真剣に考えられた時期もあったようです。
が、それも現在ではすっかり否定されています。
薬物の使用による脳の快楽の持続は短く使用頻度の増加をもたらすだけで、結果として健康を害するだけだと言うのがもはや常識となっています。

しかしフロイトなども言っているように人間にとって「強い快楽」の魅力は、弱い快楽を究極のものとして推奨する伝統的宗教の法悦のようなものを遥かに凌駕してやまないと言います。
でもここで再び昔のような弱い快楽中心の生活に戻ることはできないことなのでしょうか。
そこで私は、昔のように酒を中心とした新たな夜の生活を提案したいと思います。
もちろんその酒にも伝統的にアルコール中毒という悪弊があるのですが。
それでも、適度な節度ある飲酒によるほろ酔い文化の再興とでも言うへぎものが今必要なのではないでしょうか。

親鸞上人は、仏法はたしなめと仰っています。
我々凡夫には、聖人君子のような生活は急にはできないんですね。
それでも、できないと初めから諦めるのではなく少しずつやっていけばその内できるようになると言うんです。
嗜むと言えば、酒ですが、どうですか皆さん。
少しずつ少しずつ、嗜むように「弱い快楽」がもたらすじんわりとした優しい幸せを堪能する人生を味わうようにしてみては。

最後に。

私はテロリストです。
とは言うものの、テロと言っても、テロリズムのテロではありません。
テロワールのテロです。
トランプ大統領は自由貿易主義を否定していますが、私もテロワール重視の立場から自由貿易には反対しています。
もっともそれは、自国の経済の保護という意味からではなく、その土地や気候にあった地元の食材を旬の時に食べるのが一番健康にもいいし環境にもいいと確信するからです。

本来なら、遠い異国から来た食べ物は輸送費などで余分なエネルギーを消費しているのだから、高くて当然なのです。
しかし自由貿易が実現すると、そのような輸入食材が地場産の食材より安くなるという倒錯が起こります。
その結果、環境に悪影響をもたらしている食材が幅を利かせるということになってしまいます。
生粋のテロリストとしてはこれは非常に困る訳ですね。

農業は国の礎です。
何を食べるかは私達の健康に最も深く関わっている部分です。
土地や気候に合わない作物を育てようとすると肥料や農薬などが大量に必要となると言います。
その点、昔ながらの土地にあった在来種などは、生育に無理がなく一般に育てやすいようでもあります。
もちろん例外もあるようですが。

自分達で食べるものは自分達で作る。
それも人の健康と環境や社会に対しても共に優しい作物を心を込めて。

さらにトランプ氏は地球温暖化現象に関して、デッチ上げという言い方をされていますが、まあ仮に地球温暖化が嘘だったとしても、人や社会が生きて行く上で、大きな嘘と言うのは必要なのだということも同時に言っておきたいと思います。
戦後社会だけを考えてみても、自由貿易体制や、核による軍事抑止など、今日の目でみればひどいデッチ上げと思える「大きな嘘」の下で世界は動いてきました。
そういう意味において二十一世紀の大きな嘘の筆頭は地球温暖化なのだと思います。
(まあ、私は温暖化は事実だと今はそう思っているのですが。)
だからそれを否定するのではなく、上手く取り入れてよりよい社会に導いてゆくのが本当の政治の仕事だと私は思っています。
大きな嘘を暴くのではなく、使いこなす。
これはテロリストから大統領への進言です。

私はテロリスト。
なので見つけたら捕まえて尋問してください。
そしてその尋問を通して、未来の明るいテロワール実現に向けた構想を熱く語りあかそうではありませんか。
そう、私は第一級の危険人物なのです。
早く、捕まえて下さい。
テロを通して世界に平和と安定と幸福を。
それが私の本当の願いなのです。


本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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