本日は歌舞伎鑑賞記です。
2016.11.12 土曜日、歌舞伎特別公演「錦秋」、出演、中村勘九郎、中村七之助ら。
パンフレットには中村屋がお贈りする好評のシリーズ公演と書いてある。
香川県県民ホール大ホール、全席指定前売りS席、8000円、十一時開演と十五時開演の一日二回公演、演目は同じ、ちなみに筆者が観たのは十一時の方で十時三十分開場。
八時五十七分発のサンポート号。
二両編成だったのだが、経費削減のためかワンマン運転をしていた。
しかし、後ろから運転席の様子を見ていると、やはりワンマン運転は運転手さんにかかる負担がかなり大きいようである。
発車時、停車時の安全確認といった部分(鉄道における最大の品質管理である)や、ドアの開閉、更には乗り継ぎのアナウンスに車両見回り、切符販売と車掌さんの仕事というのはけっこうあるもんだと改めて気づく。
特に安全確認の面で、発車の時、車掌さんは窓から顔を出して安全をずっと確認していると言うこともあるし、ドアの開閉時にも行き届いた安全確認が出来るのは車掌さん搭乗時ならではのことだと思った。
またドアの開閉の段取りの良さもワンマンだと劣っていて(安全確認のためだろう)、列車が着いてからドアが開くまでかなり時間がかかっていた。
九時三十六分、高松着。
開場まではまだしばらく時間があるのでしばらくは趣味の写真撮影のためサンポート付近をぶらぶら。
着くとすでに大勢の人が並んでいる。
客席はほぼ満席で二階席にも客が入っている。
この大きなホールを満員にするとはさすがである。
やはり当代きっての人気者というところか。
十一時、定刻通り舞台開始。
前半は歌舞伎塾と称して、役者さんのメイクや着替えを生で披露する。
舞台の上に鏡台と楽屋風のセットがしつらえられていて、そこに役者さんが私服で入ってくるところから始まる。
その私服のまま化粧を始めるのだが、化粧で特に印象に残ったのは、化粧前にまず念入りな髭剃りをするということ。
朝、剃ってくれば良さそうに思えるがそれではだめなのだそうでやはり直前に剃るのが最もいいとのこと。
少しでも髭が残っていると化粧が浮いてくるという。
そういえば、新宿二丁目の人なんかもそんなこと言っていたな。
男性ならではの苦労なのである。
そして化粧をする前に念入りに塗るのが昔ながらの「びんづけ油」。
化粧のノリを良くするのと同時に肌を守る意味もあるのだろう。
そこから進んで衣装の準備に入るところで、舞台上では中村兄弟の軽妙なおしゃべりが続く。
ちなみにこの生着替えをやっている役者さんは中村一門のお弟子さん達二人で、一方、主役の中村兄弟はというとその様子を見ながら解説を加えたり、おしゃべりをしたりしているという具合である。
さらに舞台では、歌舞伎の効果音についての解説もあった。
効果音では、太鼓の音を微妙に打ち分けることによって、風の音や雨の音、滝の音や雪の音を表現する。
包丁一本でどんな素材をも切り分けてしまう日本料理の美学にも通ずるような太鼓による音の至芸であった。
さらには、衣装さんや床山さんなど、歌舞伎の舞台裏を支えるスタッフさんなども出てきて面白い。
これだけの人達に支えられて舞台があるのだと改めて感心する。
そして衣装一つ、かつら一つにもすべて意味があり、当たり前だがクローズアップなどの撮影技法も使えなかった昔の人達が限られたその中で、いかに舞台を役者を大きく映えるように見せるかと苦闘した工夫の数々が現在までしっかりと伝えられていることに感動する。
さてそろそろ役者さんの準備も整ってきたようで、前半最後はその生着替えを終えた二人の役者さんによる踊りで〆る。
踊りは曽我兄弟の仇討に題をとったもののようで、とりわけ血気盛んだった曽我兄弟の弟の荒ぶる魂とそれを鎮めようとする女との葛藤を描いたもの。
時代が変わってもこの男女の構図は変わらないものなんだなと。
余談だが、筆者も若い頃は足元のことを疎かにして遠い夢ばかり追いかけていたものである。
そのせいで周りの人達にどれだけ迷惑と心配をかけたことか。
いわゆる「男のロマン」というやつである。
罪だねえ。
そんな夢ばかりを追いかけている青春時代に見ても面白い踊りなのだろうが、今の筆者のように青春を無事終えて年齢を重ねてから改めて見ると、それはそれでなお一層感慨深いものがあるように思う。
二十分の休憩後、後半へ。
後半も踊りが二つ。
一つ目は七之助さん。
在原行平が流されたという須磨の浦に美しい金烏帽子を被った汐汲みの女性が現れる。
衣装は、昔の公家の男性が着る衣装、緑色の、と女性の衣装とを半々に着ている。
一つの生身の身体に二つの人格が宿るというお能的な世界。
七之助さん演じるこの汐汲みの女性の立ち居振る舞いは美しくて思わずため息が出るほど。
どこか処女性をも感じさせるような、初々しい娘っぷり。
歌舞伎の美しさを改めて感じさせてくれる一幕となった。
最後は兄の勘九郎さんが粋な女伊達を演じる。
吉原仲の町で、荒ぶる男伊達二人を相手に大立ち回りを演じる。
強さの中に独特のはんなりとした味のある歌舞伎の殺陣。
しかもその中に江戸の粋と気風の良さが感じられなくてはならない。
まさに勘九郎さんにうってつけの役。
しかし、改めて思うのは、歌舞伎の殺陣の立ち回りの美しさ。
自分はほとんど動かず、相手の動きを制し、制御し、自由自在に振り回す。
ある意味、理想の体術の姿がそこにある。
見ていて気持ちのよくなる粋な舞台だった。
最後に。
歌舞伎は生でしか演ずることのできない芸術だが、その点においてこれからの時代にもマッチするのではないかと個人的にはそう期待している。
私見だが、これから音楽や芝居などは全てライブ中心の時代がやってくるのではないかと思っている。
その中で、歌舞伎が蓄積してきた技術や知恵や工夫といったものが改めて脚光を浴びるのではないだろうか。
また地方回りというのもこれからも積極的に続けてほしいと思うことの一つである。
幸い、この錦秋公演では地方を中心に展開しているとそうなので誠に頼もしい限りである。
一つ注文なのはチケットの値段。
やっている方としてはこれでも安いくらいなのは十分に分かるのだが、買う立場のみから言わせてもらうと、大体有料の公演だと2000円くらいを境に気軽に手を出せるか否かのラインがあるように思う。
まあ、歌舞伎で2000円なんて見たことないですけど。
なんならスポンサーを付けるという手もあるだろうし。
2000円は無理でも、地方を回るなら、なるたけ安い値段で見せて欲しい。
ちなみに、先般お亡くなりになったクラシックピアノ界の巨匠、中村紘子さんなどは死ぬ間際、たしか4800円くらいで地方を回っていたと記憶する。
そのチラシを初めて見た時、あの巨匠がこの値段でとびっくりしたものだった。
余談だが筆者は、一日八時間汗水たらして働いてわずか9000円の収入。
だからと言うわけではないが、役者さんにも一日一万円でやれとは言わないが、まあこれからは役者さんや音楽家の世界でも世間並の賃金に落ち着いてゆくようになるのではないかと個人的にはそう思っている。
色々裏方さんも抱えて大変なのはよく分かります。
その人達の生活もありますだろうしね。
筆者のように少し生活に余裕があって(親と同居しているから)、歌舞伎の素晴らしさを知っている人間なら少々高いチケットでも付いて行けるのですが。
まあ、そういう風に付加価値を高めて、高い入場料で敢えて勝負するという道もあるでしょうが。
偉くなってもドサ周りの精神を忘れずに頑張って下さい。
安全運行に務めてくれたJRの皆さんに感謝。
最高の舞台を見せてくれた中村屋の皆さんに感謝。
裏方の皆さんに感謝。
スムースな進行を支えてくれた県民ホールの皆さんに感謝。
今日も最後まで読んでくれたあなたにありがとう。