本日は書評です。
「自分流写真の方法」、丹野清志著、2012.8.20初版、玄光社、税抜1500円。
さて筆者、本格的に写真を始めて六、七年になるのだが、一向に上手くなる気配がない。
あはは。
そんな私が最近とみに思うのは、写真の本質とはただ単に上手下手を競うというだけのものではなく、むしろ懲りずにシャッターを押し続けるという一点にかかっているのではないかということである。
当たり前の話だが、カメラという機械はシャッターボタンを押すとそれが何を写しているのかには全く関係なく、ただ目の前にあるものを「写して」しまう。
だから、写真の巧拙を語る人は、シャッターを切る前に十分に考えを巡らせてから切れと教えるのである。
しかし、逆に言うと構図が下手だろうが、被写体が選び抜かれてなかろうが、あなたの写真が余りにも下手くそだから、私はもう写しませんとはカメラは絶対に言わないということでもある。
例えば取るに足らない犬の糞でも、放送禁止の性器の写真でも何でも、カメラという機械は全く選り好みせず写し取ってしまう。
ということは、それがむしろ写真の本質でありカメラという機械の本質なのではなかろうかと改めてそう思うのである。
そのようなある種の雑食性、節操の無さこそが写真の本質であり正体なのではないかと最近私は思うのである。
そこで丹野さんのこの本。
この本の一番最初にはこう書かれてある。
「写真は、肩肘張って撮るものではありません。
何をどう撮ろうと、撮り方は自由自在。
しなやかに、ゆるやかに、シャッターを切ればいいのです。
日常のすべてが写真の被写体。
カメラを手に歩きながら、何に気付くか。
本書は、自分流写真を発見するひらめきの写真教室です。」
なるほど。
たしかにその通りだと思う。
少し写真をやったことのある人なら誰でも経験があることだろうが、上手い写真を撮ろうとしたり、或いは絵になる決定的瞬間をものにしようとして、かえって写真を撮ることが苦痛になり、また一向に巡ってこない決定的瞬間を待ちくたびれて、結局肝心の写真の本質であるシャッターを切るという行為をせずに苦痛だけが増して行くという悪循環に陥ったことが。
東洋哲学に例えて言えば、そのような上手い写真の道とは儒教的な登り道の思想と言える。
それはたった一つの頂上を目指してただひたすら辛く苦しい道のりが次々に待っている世界。
そして東洋哲学のもう一つの世界は道教的世界で、逆に下り道の世界。
どこまでも続く儒教的登り道の世界に疲れた人のための解毒剤。
それは一種の原理主義を緩和する強力な薬でもある。
東洋哲学ではこの二つのいわばアクセルとブレーキの二つの思想を巧みに操って、一人の人間を一人前の人間へと仕立てて行く。
飴とムチと言い換えてもいいかもしれない。
そんな上手い写真の登り道とは違う下り道の思想の写真術を説くのが丹野さんのこの本と言える。
この本は写真の登り道に疲れた人のためにある、一服の清涼剤でもあり解毒剤でもある。
そこで説かれているのは、一旦覚えた構図やら小難しい光の理論やら、理屈が先に立つ主題やらコンセプトやらのもろもろを離れてみて、もう一度写真を始めたばかりの右も左も分からなかったあの頃に戻って、ただシャッターを切るのが楽しかった頃に戻ってはどうだろうかというお誘いなのである。
さて本文。
2012年の本ということもあって、第一章ではフィルムカメラとデジタルカメラの撮影に対するスタンスの違いなんかも軽妙に説かれている。
丹野さん自身はフィルムを長くやってこられた方なのだが、新興のデジタルに関してもデジタルにはデジタルの面白さがあるとはっきりそう仰られている。
また、あの頃出始めだった携帯やスマホでの撮影に関しても、あれはこれまでの撮影の概念を根底から変える可能性を持っているとそう言及されている。
最後に。
本文から気になる部分を引用して終わりにしたい。
引用の引用になるのだが。
杉浦日向子著「一日東京人」(新潮文庫)より(「自分流写真」本文内に引用されている文章です)。
「キザは「気障」と書きます。
じゃらじゃらチクチクする、あつかましい、デリカシーのない気障りな状態を言います。
粋、通といった江戸人の美意識は、わだかまりのない、さらさらした極上の水のようなものでした。
「キザ」はその対極にありました。
シャレは粋や通と同様の美意識ですが、シャレはサレ、つまり「戯れ」に通じる意味があります。
戯れは真剣にならない、軽やかな気持ちをいいます。
こんな気持ち、大切にしたいものです。」
そう、写真とはあくまで遊びなのだ。
真剣にやるのはいいのだが、度を超すと途端に無粋になる。
気を付けたいものである。
本文には他にも魅力的な脱力を誘う文章が満載。
最近、写真を撮ることにお疲れ気味の人には持って来いの処方箋である。
小難しいことを離れて、ただ写真を楽しむことを再び思い出させてくれる良書だと思う。
素晴らしい本を書いてくれた著者の丹野さんに感謝。
その素晴らしい本を出版してくれた玄光社さんに感謝。
その本を売ってくれた宮脇書店さんに感謝。
そして今日も最後まで読んでくれたあなたにありがとう。